仏歴2560年7月30日 魚の放生会
徳積み
今回は鮎を150匹、 放生しました。
(50匹入り袋で3つです。)
委託された方は二度目以上の方が2人、 初めての方が1人でした。
長野、埼玉、東京の方が委託の依頼をされました。
今回は世話役のメンバー3人で放生会を実践しました。
今回は、世話役のメンバーだけでしたので、敢えて人の写真は撮らず、放生された魚の写真を掲載しています。
放生会
普段は鮎を放生する前、沢山の鮎の中の1匹、2匹は、放生する前に、死んでしまい、助ける事が出来ない鮎がいます。
しかし、過去2回ほど、
1匹も死ぬ事なく、全部を元気で助ける事が出来ています。
以前 タイの師(アチャン)から、 殺されそうな魚を助けようとする 動機こそが大切である。 もし仮に、その中で助ける事が出来ずに死んでしまう魚がいても、それは、その魚自体に、今回は助けてもらう事まで出来ないだけの大きなカルマがあるのだから仕方の無い事だ、と言われました。
助ける側として、純粋に助けるという行為だけに集中して、放生をして行けば良いと、そのお話を聞いた時に、思ったものでした。
放生委託
徳積みは、今回の人生だけでなく、 来世にも持っていく事の出来る大切なモノです。
今回 魚を放生した事で出来た徳分は、 すぐには 目に見えるハッキリとしたか形の恩恵としてスグに届く事は、ないかもしれません。
病気の話でいうならば、
病気の人が徐々に何年もかけて病気になるよう、徳分も徐々に蓄積されて、徐々に作用していくのだと思われます。タイのお釈迦様様やお坊様の生活と密着していて毎日何らかの形で徳積をしている環境は日本にはありません。 特に現代の日本人は徳積みを意識的にしてきた訳ではないでしょうから、なお更ではないか? と思われます。
自分が積んだ徳積みは、 いずれかは、自分を守る大切ものとなります。
また、自分が得た徳分を、自分の身近な大切な人【例えば、父母 夫婦、子供達へ】に分け与えて下さいという祈りをすれば、その対象の人に届けられるという有り難いものでもあります。
生きている間にだけ、徳分を積む機会がある訳ですから、これからも、積極的に徳積をして行きたいと思います。
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