●放生実践会に参加させて頂きまして、ありがとう御座いました。
放生をする前は、 確かに良い事ではあるけれど、少ない数を助けた所で、何も変わらないのでは? そういう事をする事自体が欺瞞では? など頭で思っていた自分がありました。(今にして思えば、恥ずかしい限りです。)
しかし、実際に買い求めた生きた貝を海に戻すという事を自分自身の手で行う事がとても大切と判りました。 自分の深い部分で私自身の大きな喜びとして実感出来た事が、とても良かったと思っています。 頭で考えるだけでは意味がないのですね、 自分自身で行なってみるという事が大切なのですね。 このような機会を設けて下さった皆さんにも感謝しております。 また、 是非 次の機会に参加させて頂きたいと思っています。
愛知県 女性より。
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大切なお知らせ:
放生を実践する会は、全ての宗教を尊びます。
特定宗教団体の運営ではありません。
あくまでの有志の集まりです。
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●タイでは自分の誕生日には、徳分を積むためにお寺へ行きお布施をする風習があると聞きました。 自分も何か徳分を積みたいと思っていた時に、 ちょうど放生会が自分の誕生日の日に行われると聞き、 スグに参加申込みしました。 面識のない方ばかりの中での参加でしたので少し緊張していましたが、そんな緊張も実際にしている最中には、既に無くなっていました。
こればかりは、 実際に自分でしてみないと解らないかもしれません。 スタッフの方がいっておられた、本当に深い深いところでの、喜びや楽しみという事なのですね。 特別に自分の中で何か物足りない部分を日々の生活の中で感じているというわけでも無かったのですが、 深い喜びという意味を教えて頂いた気がします。 私にとっては、とても大切な行事となりました。
岐阜県 男性より。
●友人から紹介されて放生を実践する有志の会の存在を知りました。 お話を伺い確かに自分は今までの人生の中で徳積みをしてきていなかったと思います。
東京在住で、 仕事もあり高齢の家族もいて、なかなか現地まで出向く事ができず、 今回は、ドネーション(お布施)形式だけで、 委託し代りにして頂きました。
会員限定のページで、 その時の放生会の様子を写真で拝見する事が出来ました。 ご丁寧な配慮に感謝いたします。
自分自身が参加して行うと実感が凄くあるとお聞きしています。 出来るだけ早くに都合をつけて自分も出向きたいと思います。 ありがとうございました。
東京都 女性より
●放生のよろこびを知ってしまって、 ついには、 浜辺近くに引越しする事になりました。
これから、いつでもスグに 放生が出来るのです。 見つかった場所も、考えられない程、 素晴らしい条件の家です。 私たち家族にとって 放生は、 生活の一部となりそうです。
静岡県 女性より。
●チベットへ行った時に、 動物、たぶん羊だったと思いますが、大きく赤で印がつけられた羊が 数匹か群れの中にありました。 ガイドさんが、 それらの印のついた動物たちは、 途中で殺され肉にする事もなく、 最期まで、放牧した人間が、面倒を見るのだと言っていました。 あの考え方も、放生と相通ずる所があるのでしょうね。
長野県 女性より
●大きな病気をした結果、放生会の事を家族から教えてもらいました。 命を奪う側に立つのか? それとも、これからは助ける側になるのか? と言われた言葉の意味を今ですと重く感じます。 放生するという行為自体の清々しさも、他に例えようないものでした。 経験による実感が大切と教えていただいた気がします。
神奈川県 男性より
●最近無くなった姉に徳分をあげたい、という思いで放生の委託をお願い致しました。 妹として恩もあり、姉の次の人生で、徳分が少しでもある人間として生まれ変わってほしいという願いからです。 放生後には、報告までして頂き放生実践会の方には感謝しております。
石川県 女性より
●長年一緒に暮らした我が家の猫が寿命が尽き果てる間際に放生して出来た徳分を、分け与える事で、猫の状態が何度も劇的に変わった事を目のあたりにしました。
徳分の大切さを痛感しました。
我が家の老齢だった猫は、年のわりには元気な猫でした。 しかし亡くなる前、急に2週間ほど状態が悪くなり、そのうち最期の1週間は食べる事も出来ず、気を失う事も数回ありました。 状態が急変した猫は自分の足で歩くのも大変で、ヨタヨタとフラつきながら歩く状況でした。 徳分を家族や、その周りの友人達から最期の一週間程、集中的に分け与えてもらう度に、シャキンとしっかりと自分の足で毅然と歩けるようになりました。 死に向かっている事はわかっていましたが、その毅然とした歩き方は、最期の命をまっとうする姿として威厳すら感じた程です。 延命ではなく、自然な死を迎える事を全うさせてやりたいと思いました。
徳分を分け与える事を4,5日程 集中して行うと、ヨタヨタの歩きが、その度にシッカリとした姿となりました。 1度ならずも数回そのような姿をみると、周りは徳分の大切さを自然な形で実感していきました。
これこそ正に、徳分の大切さを知っているという事から徳分の大切さを深く確信するに至る、という事だと思います。
最期の1日は寝たきりで、水すらも一切飲まない状態でした。最期には、家族に見守られ、声も数日間 発声する事も出来ないハズなのに、かすれた声でニャーと言い、息すらもしているか判らない最期の数日なのにも関わらず、大きく息を3度ほどし、静かに息を引き取りました。 もちろん、我が家の猫が生活の中から消えてしまったのは感情的には寂しいものです。 しかし徳分の大切さを知ると、喪失感だけが先行する訳でもありませんでした。
徳分の大切さを教えてくれた我が家の猫が、来世は、徳分を積む事が出来る人間として生まれて来れるように、徳分わけの祈りの対象です。 今も、亡き家族の一員として大切な存在です。 徳分こそが過去から現在、そして亡くなった後は、更に来世に繋がるものだと教えもらったと思います。